今から半月ほど前になるが、タイで発行されている老舗華字紙『中華日報(電子版)』(6月2日)に掲載されたある論文に接し、先ずは「アンタにだけは言われたくない」と呆れ返った。さらに、東南アジアの華字メディア空間に浸透・拡大する中国の影響力に改めて驚くと同時に、一種の危機感を抱いたものだ。

 論文の筆者は、楊光斌中国人民大学比較政治制度研究所の所長。「タイ政治の難題と“中産階級が民主をもたらす”」と題し、混乱するタイの政治情況を切り口に民主について論じている。以下、同論文を要約してみる。

 

選挙は貧困層のガス抜きか

 近年、エジプト、タイ、ウクライナなどでみられる民主化の過程は、これまで我々にとっての常識、極論するなら民主化への定説とされてきた命題――たとえば公民社会が民主政治の前提・基礎であり、中産階級が民主を招き寄せ、民主こそが民族和解を進める――とは、明らかに異なる過程をみせる。“ある国家の良否を民主の有無に帰す”とはいわれているが、果たして、それは現実的な見解だろうか。

“ブルジョワ階級がなければ民主はない”という西側の民主政治理論によれば、経済発展が工業化と都市化を導き、工業化がブルジョワ階級の誕生を促し、ブルジョワ階級が民主を要求するということになる。西側の歴史から導き出された理論ということだが、確かにブルジョワ革命が先鋭化された民主を導くことは疑いない。だが、そのような民主とブルジョワ革命以前の貴族制との間には大きな差は認められない。真の意味での大衆型民主は1871年のパリコミューンの成立を待たなければならないが、ヨーロッパにおける民主の歴史は、現に定説とされる民主理論のままに単純に歩んできたわけではない。やはり理論の単純化は、往々にして歴史の歩みとは違ったものとなりがちだ。

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