日本を紹介したある美術商

執筆者:大野ゆり子2006年7月号

「燃えるように輝く赤、ライラック色の空――何て不思議な色だろう! これが紛れもない北斎なのだ!」と浮世絵を見たヴァン・ゴッホは心躍らせて、その感動を綴っている。親交の深かったモンマルトルの画材屋、「タンギー爺さん」の肖像画を描いたゴッホは、その背景に、富士山や花魁など、広重や英泉の浮世絵を描き込んだ。 ゴッホだけではなく、マネ、モネ、ルノワール、ドガ、ロートレックの作品にも、着物の女性や扇など、日本風の題材が実に多い。また例えば蔓草のように曲がりくねった鉄が特徴の、パリのメトロ駅入り口の装飾。フランス語圏で「アール・ヌーボー」と呼ばれるこのスタイルは、日本の工芸品の花鳥風月からヒントを得たといわれる。「ジャポニズム」といわれる日本趣味が、十九世紀末の西洋美術に新しい果実をもたらしたことは、よく知られている。しかし、どんな人物が遠い日本をヨーロッパの芸術家に紹介したのかは、あまり知る機会がない。現在、ブリュッセルの王立美術館で開かれているのは、この「ジャポニズム」というブームの仕掛け人に光を当てた企画展だ。展示されているのはアール・ヌーボーの生みの親とも言われるサミュエル(本名・ジークフリート)・ビング(一八三八―一九〇五)の集めたコレクション。

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