日本人の三つ子の魂を知る上で「お盆」は、貴重なサンプルだ。純粋な仏教行事に見えるが、「仏教の衣裳をまとった日本的な風習」なのである。

「お盆」の歴史は古い。すでに7世紀の初頭に、推古天皇が取り入れていた。

 推古14年(606)4月8日、丈六(1丈6尺、約4.8メートル)の仏像が完成し、元興寺(飛鳥寺)金堂に収められた。そしてこの年から毎年、4月8日に灌仏会(かんぶつえ)が、7月15日に盂蘭盆会(うらぼんえ)が執り行われるようになった。灌仏会は釈迦の誕生を祝う法会で、盂蘭盆会が、のちに「お盆」となる仏教行事だ。最初の本格寺院の誕生とともに、「お盆」は始まったのだ。

 

「盂蘭盆会」の由来

 こののち斉明3年(657)7月には、飛鳥寺の西側に須弥山(しゅみせん)の像(仏教にいう世界の中心になる山)を造り、盂蘭盆会を執り行い、斉明5年(659)7月に、飛鳥の諸寺に『盂蘭盆経』を講じて、7世の父母に報いさせている。

 そしてしばらく時間をおいて、天平5年(733)7月、聖武天皇は、諸寺の行う盂蘭盆会の供物を大膳に用意させた。大膳は、宮中の食膳にまつわる部署だ。この年の正月、光明皇后の母・県犬養橘三千代(あがたいぬかいのたちばなのみちよ)が亡くなっていて、その供養の意味が込められていたようだ。そしてこののち、盂蘭盆会は『延喜式』にも記載され、歴代王権の追善の意を込め、国家的な法会体系の中に組みこまれていったのである。

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