キエフが大阪程度の大きさの街であるのは以前お知らせしたが、異なるのはどこまで行っても行き止まりがないことだ。六甲山も、箕面山も、生駒山もない。はるかロシアまで平原が続いている。

 街の中心部から北西に車で走ると、30分ほどで市街地が途切れ、やがて一面の森となる。森の中にプシャ・ヴァディツァという街があり、子どもたちが集団合宿をするための施設が設けられている。緑に囲まれて立ち並ぶコンクリートの殺風景なビルの1つが、クリミア半島から逃れてきた人々の避難所として使われている。

 私が訪ねた5月下旬は、クリミア半島からの避難民の流出が相次いでいた。その主な行き先は、半島に近いウクライナ本土の街ではなく、首都キエフや、さらに西部の都市リビウだった。半島に近いウクライナ南部や東部にはロシア系市民が多いことから、これを避けてのことだと見られた。

 

「ロシア軍に息子を取られたくない」

 ヤロシェヴスキーさん(筆者撮影、以下同)
ヤロシェヴスキーさん(筆者撮影、以下同)

 電気の消えた暗いロビーで、クリミア半島からの避難民に話を聞いた。南東部スダクの街出身のアレクサンドル・ヤロシェヴスキーさん(59)である。ウクライナ系で、本業は地元のラジオの記者だった。激することなく、理路整然と語る口調から、かなりのインテリだと思えた。

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