「日本がアメリカに輸出して、一番アメリカ人に印象を与えたものはなんだと思いますか」。ロサンゼルスで聞かれて、考え込んだ。「トランジスター? それとも性能のいい日本車ですか」。「いいえ。野茂とイチローですよ」。 確かにドジャースタジアムで見た野茂は輝いていた。独特のトルネード投法から繰り出されるフォークボールを武器に大リーガーに立ち向かう日本人野茂は、アメリカ人の心を捉えていた。イチローもアメリカにきめ細かい「日本野球」を持ち込み、現地のファンとメディアを魅了した。 外国で“日本に出会う”ことは嬉しい。 一九九八年のある日、ハリウッドの丘の上に聳える武家屋敷のような立派な日本建築が著者の目に飛び込んできた。この豪奢な建物と贅沢な日本庭園はいつ、誰が、どんな目的で建てたのであろうか。それから二年後、著者はロサンゼルスの郊外で竹林、築地塀、石庭、太鼓橋など調和のとれたジャパニーズ・ガーデンに出会う。さらに、中古家屋を売買する目的で週末に開かれる「オープンハウス」巡りを続けるうちに、日本民家の面影をたたえる一軒の家に惹かれる――以上三つの建物との出会いが、ペリー来航以降の一世紀半に起きた“アメリカのジャパニズム”を建築や庭園という観点から探検したいという著者の冒険心を駆り立てた。こうして、アメリカに現存する日本建築や庭園を古いものから順に一軒一軒訪ね始めたのだ。

記事全文を印刷するには、会員登録が必要になります。