真に意味ある教員免許更新制にするために

執筆者:森口朗2006年10月号

ようやく緒についた「免許更新制」導入の議論。教師の「指導力不足」ばかりか「学力不足」まで叫ばれるいま、本当に実効性ある制度にするには何が必要か。 中曽根臨調以降、明治初期、戦争直後に続く第三の「教育改革」と称して、学校教育において様々な改革が行なわれてきたが、小泉政権から安倍政権へと続く中で、ようやく改革の方向が定まってきた。この流れを一言でいうならば「『学力志向』と『ネイション志向』」と表現することができるだろう。「生きる力」をスローガンに進められた教育改革は、当初「学力志向」とは明確に異なる方向を目指していた。「近頃の若者は、勉強はできるが公共心がない」と嘆くオールド保守層、「受験戦争を勝ち抜いてきた者が必ずしも優秀な企業戦士にならない」事実に危機感を抱いた産業界、「受験、受験では子どもがかわいそう」という世論の後押しを受けて、文部省(当時)は、従来の学力養成システムを崩す「ゆとり教育」をもって教育改革とした。 ところが、一九九〇年代末に起こった「学力低下」論争に完敗した文部科学省は、「ゆとり教育」のスポークスマン的存在だった寺脇研・大臣官房政策課長を文化庁に転出させ(その後、文科省広報調整官)大きく舵をきる。一方の「ネイション志向」については、詳細は割愛するが地方レベル・学校レベルでの動きが明確である。こうした流れは安倍政権でいっそう明確になるだろう。

記事全文を印刷するには、会員登録が必要になります。