二〇〇六年夏「択捉島」往還記

執筆者:伊藤周2006年10月号

折しも起こった銃撃事件。緊張の走る中、北方四島の元島民のために行なわれる「ビザなし交流」に同行、択捉の現状を見た。 ロシア当局による蟹籠漁船第31吉進丸の銃撃・拿捕事件が報じられた八月十六日、北海道根室市には濃い霧が立ち込めていた。根室には二つの港がある。太平洋に面した南の花咲港に殺到する取材陣とは別に、北側の根室港に向かう。そこには、択捉島への出航を二日後に控えた日本の民間客船ロサ・ルゴサ号が停泊していた。 ソ連の提案で一九九二年から始まった北方四島交流事業(ビザなし交流)は、今年で十五年目を迎えた。日露の領土問題が思わぬ形で表面化したいま、その“現場”である北方領土では何が起こっているのだろうか。八月十八―二十一日の日程で行なわれた択捉島でのビザなし交流に同行し、現状を探った。緊張を歓迎に変えた十五年 日本では一つの地域として認識される「北方領土」は、ロシアの行政区分では択捉島=サハリン州クリル地区、国後島・色丹島・歯舞諸島=同州南クリル地区となる。北方四島に住むロシア人は約一万七千人と、戦前に居住した日本人とほぼ同数。うち択捉には約七千人が暮らす。 十八日午後、入域手続のために国後島の古釜布沖に停泊。国後南部は日本の携帯電話が通じるほどの近距離だが、根室から古釜布まで船で四時間、そこから択捉島の内岡港まではさらに十一時間かかる。

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