「核実験」で逆に追い込まれた北朝鮮

執筆者:草壁五郎2006年11月号

強硬派の発言力強化に食糧不足。外向きには強気の北も内実はますます苦しげだ。核実験で脅しのカードも種切れとなると……。[ソウル発]「同志たち、今や苦労の果てに楽が見えてきた。われわれに黎明が明るく訪れようとしているのだ」 北朝鮮の労働新聞が九月八日付で紹介した金正日総書記の言葉だ。同紙はこれを「喜びに満ちた将軍様(金総書記)の言葉はもっと勇敢に戦って行こうという熱烈な信念の訴えでもあった。それは決定的な最後の突撃戦で叫ぶ最高司令部のもう一つの号令銃声だ」と説明した。北朝鮮が核実験を行なう一カ月前のことである。 その通り、北は核実験予告からわずか六日後の十月九日に実施するという「最後の突撃戦」に出た。 朝鮮中央通信は、十月五日深夜に金総書記が軍の大隊長・大隊政治指導員大会参加者と会い、参加者たちを祝賀したと報じたが、その後、動静報道はない。 金総書記は七月のミサイル発射の際も公式動静報道が約四十日間途絶えたが、おそらく今回も当分の間、姿を現さないであろう。消息筋によると、ミサイル発射の後は、日本の植民地支配への抵抗などをテーマにした映画を含む二本の映画製作の現地指導に当たっていたというが、今回の潜伏期間は少し長くなりそうだ。米国の攻撃を恐れ監視を逃れようとするだろうし、今後どう出るかという不透明感を掻き立てつつ、「次の手」を考える時間が必要と見られるためだ。

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