九月十二日にローマ法王が南ドイツのレーゲンスブルク大学で行なった説教をめぐって、イスラーム諸国と西欧諸国の間では、激しく緊張したやり取りが交わされた。昨年末から今年三月にかけて吹き荒れたムハンマド風刺画非難の嵐が静まってから半年もたたない頃である。「イスラーム」をめぐるトラブルの頻度は確実に増している。 まず、ローマ法王の発言そのものを検討してみよう。「信仰、理性、大学――回想と省察」と題された説教は、かつて教鞭をとっていた大学ということもあってか、率直な問いかけや、学術的な課題設定と論理展開が特徴的である。テーマはキリスト教神学の最大・永遠の課題と言っていい「理性と啓示の適切な関係」である。 問題となったのは、一三九一年の冬に、アンカラ近郊で、ビザンツ皇帝マニュエル二世パレオロゴスと一人の「ペルシャ人の賢者」の間で行なわれたとされる会話を引用した部分である。皇帝自身が、一三九四年から一四〇二年にかけてオスマン帝国軍によってビザンツ帝国の首都コンスタンチノープルが包囲されていたさなかにこの会話を記録したとされる。《皇帝はコーランの第二章二五六節「宗教に強制なし」という章句を知っていたに違いない。専門家によれば、この章句はムハンマドがまだ勢力が弱く、脅威にさらされていた時期のものだという。当然のことだが、より後の時代に発展してコーランの中に書きとめられた聖戦に関する規定についても、皇帝は知っていた。(異教徒のうちユダヤ教徒やキリスト教徒のような=引用者注、以下同じ)「啓典」を持つものと、そうではない「不信仰者」(多神教徒・偶像崇拝者を指す)との間に(イスラーム教で)設けられている区別といった細部には踏み込まず、皇帝は対話の相手に向かって、宗教と暴力との一般的な関係についての核心の課題を、衝撃的なまで露骨に問いかける。この露骨さにはわれわれも驚かされる。皇帝は「ムハンマドがもたらしたものに何か新しいものがあるのか、見せてみろ。邪悪で非人間的なものしかないのではないかね。ムハンマドが信仰を剣で広めよと命じたように」と問うた。かくも強硬に自説を展開した皇帝は、信仰を武力で広めることがいかに理にかなっていないか、詳細に論じた。》

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