『私の紅衛兵時代――ある映画監督の青春』陳凱歌著/刈間文俊訳講談社現代新書 1990年刊 思い起せば一九六〇年代後半、世界は物情騒然としていた。欧米はもちろん、中ソ対立から社会主義陣営一枚岩の団結にヒビが入ったとはいえ共産党政権が依然として権力と権威を揮っていた東欧諸国ですら、「怒れる若者」は街頭に溢れ、過激な反体制運動を繰り返したものだ。文化大革命(以下、文革)のはじまった中国に出現した紅衛兵も、中国における「怒れる若者」だと思った。だが同じ過激な行動にしても、どこかが違う。 当時、日本の「怒れる若者」は大学解体を掲げ、学園闘争の熱狂のなかにあった。分裂と凄惨な内ゲバを繰り返す新左翼各派を拒絶する若者たちはノンセクト・ラジカルの旗を掲げ、全共闘を名乗り、殺伐としたキャンパスに颯爽と現れる。「われわれはー、まさにー」と語尾を異常に伸ばす独特のアジ演説に授業は妨害され、休講はしばしば。学校側は混乱を避けるため校舎をロックアウトし、機動隊を導入し、学生をキャンパスから締め出すことも珍しくなかった。 そんなある日、休講を幸いと向かった日比谷図書館で、紅衛兵が全国各地で党や政府の高官を大衆の面前で吊しあげ、殴る蹴るの暴行を加えながら自己批判を迫っている大きなスクープ写真を目にした時、この怒りは他国の若者の怒りとは異質だと強く感じた。

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