インドネシア共和国第7代大統領に就任したジョコ・ウィドド(通称ジョコウィ)が閣僚の顔ぶれを発表したのは、就任から1週間経った10月26日であった。当初は9月中にもと言われていたが大幅にずれ込み、就任式翌日の発表という予定も直前に延期されるなど、閣僚の選任はギリギリまで調整が続けられた。

 しかも、発表された新内閣の陣容は、専門性にもとづいた人材の登用というよりも、さまざまな利害を調整した結果が如実に表れていたため、国民からは失望する声も聞かれた。国民の高い期待を背負って発足したジョコウィ内閣は、早速成果を出すことを求められている。

 

難航した野党陣営の切り崩し

 内閣の陣容がなかなか決まらなかった背景には、第1に、野党陣営に対する切り崩し工作がギリギリまで続けられたことがある。当初ジョコウィは、野党陣営から与党陣営に鞍替えしてくる政党のために、2〜3の閣僚ポストを用意していた。

 ジョコウィ陣営は、8月下旬に選挙での勝利が確定すると、野党陣営を切り崩すための交渉を始めた。しかし、選挙で敗れたプラボウォ・スビアントも、野党陣営の結束強化を図ってこれに対抗した。プラボウォは、野党の協力関係を「紅白連合」(「紅白」はインドネシア国旗を指し、ナショナリズムの象徴)と名付け、協力関係を5年後の次期選挙まで続けると宣言した。さらに、国民議会で野党主導による法律制定の実績を早速作るとともに、議長団ポストを野党で独占することにも成功して、「紅白連合」にとどまることの意義を示した。

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