世界のハイテク企業が販売する先端商品の生産代行により製造技術を磨き、いまやハイテク大手を脅かす存在に――。

[台北発]「われわれの報道には誇張があったが、記者も傷ついた。反省し、視野と胸襟を開く」
 中国の有力経済紙、第一財経日報は九月四日、編集長の署名入りでこんな記事を掲載した。EMS(電子機器の受託製造サービス)で世界首位の台湾・鴻海精密工業が中国・広東省にもつ子会社との間で、同紙報道をめぐって三カ月近く繰り広げた紛争の“手打ち”をするとの宣言文だ。
 きっかけは、六月十五日付の紙面で、広東省の子会社が「従業員を劣悪な環境で長時間労働させている」と報じたことだった。同紙は八月二十八日、子会社が名誉毀損を理由に、同紙の記者二人に対し「三千万元(約四億三千万円)」の損害賠償訴訟を起こしたと伝えた。子会社はその二日後に請求額を「一元」に減額したものの、同紙自体を訴訟相手に加え対決姿勢を鮮明にしたが、“手打ち”宣言に合わせ、訴訟を取り下げた。
 この紛争を中国、台湾など中華圏のメディアが大きく報じたのは、賠償請求額が記者個人相手としては法外だったことだけが理由ではない。
 中国商務省によると、二〇〇五年の中国最大の輸出企業は鴻富錦精密工業(深セン)。約百四十五億ドル(一兆七千億円)を輸出したこの企業こそ、紛争の舞台となった鴻海の子会社だ。米アップルコンピュータの携帯音楽プレーヤー「iPod」、任天堂の携帯型ゲーム機「ニンテンドーDS」、米モトローラの薄型携帯電話機「RAZR」など世界のハイテク大手のヒット商品を昼夜問わず製造し、出荷している。
 同社は深センのほか、江蘇省昆山市や山東省太原市に工場を展開し、中国全体で約二十万人を雇用する。利に聡い中華圏の人々は、米フォーブス誌の〇五年の「富豪ランキング」で鴻海創業者の郭台銘董事長が台湾で首位だったことも熟知している。
 一九五〇年生まれの郭氏は海事の専門学校を卒業し、台北市の海運会社に勤めていた。花形産業だった繊維を米国に輸出する船の手配を担当しているうち、「台湾では輸出型の製造業に将来がある」と確信。友人らと三十万台湾ドルを持ち寄り、七四年に鴻海を設立した。当初は白黒テレビの「高圧陽極キャップ」と呼ばれるプラスチック部品を手がけた。
 友人たちは先行きへの不安から相次いで経営を離れたが、郭氏は八三年にはパソコン用コネクターに進出。その後も事業領域を広げ続け、台湾他社との紳士協定で手をつけないノート型パソコンと白物家電以外の電子機器を何でも請け負えるEMSに育て上げた。

三万人もの金型技術者を抱え

 鴻海グループの〇五年の連結売上高は約九千百十七億台湾ドル(三兆二千五百億円)と十年前の約七十倍。おそるべき成長力で、すでにシャープや三洋電機を規模で抜き去った。鴻海の大口顧客である日本メーカーの台湾法人トップは「気がつくと水面下に迫っていた潜水艦のようだ。それも強力なエンジンを備えた大型原潜だ」と舌を巻く。
 他社ブランド製品の生産を代行する「OEM」ビジネスは、分業の進んだ世界のハイテク産業では日常茶飯事となった。EMSはOEMを高度化させ、生産だけでなく設計、部品調達、物流までを一貫して手がける業態だ。その先頭を行く鴻海は「マーケティングして商品企画する部門を除けば、総合電機メーカーに必要なすべてを備えている」(台湾の格付け会社のアナリスト)存在である。
 しかし、その実力や規模の割に中華圏以外での知名度は低い。最大の理由は、鴻海が決算説明会や記者会見をほとんど開かず、ニュースとなりにくいためだ。顧客企業に対する守秘義務重視のEMSという業態はそもそも取材を受ける利点が少ないが、郭氏自身が大のマスコミ嫌いである点が大きい。
 公開の質疑に応じる機会は、一年に一度開かれる株主総会後の記者会見のみ。ただ、郭氏はいったん話し始めると止まらない雄弁家でもある。記者やアナリストは六月十四日の会見で、三時間にわたり、その経営論に耳を傾けた。
 郭氏が繰り返し語ったのは「eCMMS」と呼ぶ鴻海のビジネスモデルだった。顧客企業に「コンポーネント・モジュール・ムーブ・サービス」を電子(e)化して迅速に提供することだという。
「コンポーネント」は部品で、「モジュール」はそれらを複合部品に素早く組み立てることを指す。その実現に不可欠なのが、あらゆる部品の製造の基本となる金型を自社生産(内製)することだ。鴻海は一般に四―六週間はかかる携帯電話機のボディー用の金型を一週間で内製する。三万人もの金型技術者が二十四時間態勢で設計・製造に当たるためだ。
 金型は日本のお家芸だが、数十人の熟練工がコツコツと作業する中堅企業が多い。鴻海の発足直後の台湾も同様で、良質の金型の確保は一苦労だった。郭氏は一定の蓄えができた七八年、不動産に投資するか迷った揚げ句、自前の金型工場の建設を決断。この選択が今日の鴻海を産んだ。熟練技術の不足は、過去の金型の設計図を再利用しやすいようデータベース化することで補っている。
 金型は地味な技術ながら、ハイテク機器の新商品発売サイクルの短縮にともない、必要とされる場面は増える一方だ。鴻海はEMSとしてさまざまな製品を生産代行することで、その金型などの製造技術を蓄積し、先端商品をさらに速く安く生産代行できる環境を整えているのだ。
「ムーブ」とは納期を確実に守って組み立て・出荷することを意味する。鴻海の中国沿岸部の工場が出稼ぎ少女を大量雇用しているのは第一財経日報の指摘の通りだが、組み立てを現代版「女工哀史」にのみ頼っているわけではない。米国ではヒューストンやカンザスシティー、欧州ではチェコやアイルランドに組み立て工場を構える。三月にはインドでの工場建設も決めた。
 鴻海はこの体制を「両地設計、三地製造、全球交貨」と呼ぶ。台湾と中国の二カ所で設計し、欧米アジアの三カ所で製造し、全世界に製品供給するとの意味だ。残る「サービス」は設計・製造・出荷の流れを顧客に一括提供することを指す。
 郭氏は「企業の管理には民主より独裁の方がふさわしい」と明言する超ワンマン。「董事長に呼ばれたら、地球上のどこにいても四十八時間以内に駆けつける」など軍隊式の規律も鴻海の特徴だ。郭氏は一日十五時間仕事し、中華社会全体が休むため仕事にならない旧正月に「まとめて病気する」のだという。

家電量販店に直接販売すれば

 郭氏は「当社の急成長の背景には、あらゆる電子機器がパソコンに似てきたことがある」と指摘する。パソコンで頭脳に当たるMPU(超小型演算処理装置)、記憶をになうDRAM、表示部分の液晶パネルの三大基幹部品は、クリーンルーム内で半導体技術を使って製造する。これらは技術の標準化が進み、一定の実力のあるメーカーの製品なら品質や価格に大差はない。
 パソコンのハードウエアの残る部分は、プラスチックや金属を部品に加工し、組み立てる作業だ。まさに鴻海が得意とする工程で、パソコンと同様にこの図式が通用する電子機器が広がっている。
 たとえば、鴻海は十二月一日付で台湾のデジタルカメラ大手、普立爾科技を吸収合併する。普立爾は〇六年、中下位機種を中心に千五百万台の出荷を見込む世界最大のデジカメOEM会社。デジカメの画像センサーはソニーなど日本勢の寡占だが、レンズや自動焦点の機構部分には鴻海の部品製造ノウハウが生きる。
 十月二十四日には、鴻海が〇三年に設立したばかりの群創光電が台湾證券交易所に上場した。群創は液晶パネル・モニターのメーカー。上場で調達した資金で「第七・五世代」の大型ガラス基板(一枚で四十二型の大画面テレビ用のパネルが八台分生産できる)に対応したパネル工場を建設するとともに、液晶テレビに参入する計画を持つ。
 電子機器のデジタル化で活躍の場が広がった鴻海が、アナログ技術のフィルムカメラ、ブラウン管テレビの時代に世界を席巻した日本勢から仕事を奪う構図にも見える。しかし、郭氏は「自社ブランドの製品を手がけるつもりは全くない。日本メーカーは当社をもっと使ってほしい」と利益衝突を否定してみせる。
 鴻海の経営上の最大のリスクは、他ならぬトップの引退とされる。郭氏は「晩年は趣味に費やすべきだ」とする人生哲学に基づき、〇八年にグループ売上高二兆台湾ドルを達成して六十歳を前に退くと公言する。後継者は親族ではなく、現役の鴻海幹部から抜擢する意向だ。
「自社ブランドを前面に出す中国のハイアールやTCLは全然怖くない。警戒すべきは鴻海だ」。前出の日本メーカー台湾法人トップは強調する。「日本勢はブランド力で製品を売っているが、中身はどんどん鴻海製に代わっている。鴻海がある日、家電量販店に直接販売すると言い出したらどうするのか。われわれに技術や工場は残っていない……」。
「鴻海が日本ブランドという皮を食い破って表に出てくる」という悪夢のシナリオだ。郭氏が日本企業に払ってきた“敬意”を後継者が引き継ぐ保証はない。「知られざる巨人」の動向から、日本のハイテク産業は目を離してはならない。

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