霍英東なき香港で北京とのパイプ争い

執筆者:樋泉克夫2006年12月号

 香港を代表する「親北京」の企業家で全国政治協商会議(政協)副主席の霍英東が、十月二十八日夜、闘病先の北京で死亡した。享年八十三。中国最高の医師団が懸命な治療を続け、胡錦濤、温家宝、曾慶紅、江沢民など新旧首脳陣が次々に病床を見舞い、国営通信の新華社は「中国共産党の親密な友人」と対民間人としては最高級の弔慰を表した。 朝鮮戦争当時、西側の経済制裁で苦境に陥った北京を救ったことで生れた「親密な友人」関係が、北京の香港対策に大いに貢献する一方、企業家としての彼に中国ビジネスという絶好の商機をもたらしたといえる。 霍の後継として北京の意向を香港に、香港の雰囲気を北京に伝えることのできる企業家の最右翼は、「民主よりも香港繁栄の維持」を強く掲げる李国宝だろう。香港最大の地場銀行である東亜銀行を統括し、トウ小平以来の北京中枢との太いパイプをテコに、大陸での事業を展開している。かつて、香港の英植民地政治に深く関わりながら、北京ペースの返還作業にも対応。二〇〇五年夏には選挙事務長として曾蔭権行政長官の再選に貢献し、曾を強く推す胡錦濤との関係を内外にアピールした。 李の海外人脈はフィリピンのメトロポリタン銀行集団を率いる鄭少堅、同国最大の企業家の陳永栽、台湾政界実力者の宋楚瑜などとも繋がる。彼と共に曾政権入りしている李国章は実弟で、「ポスト曾」の最右翼。これからの李の動きによっては、二〇一二年の長官選挙での弟の当選も夢ではない。

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