香港の50年

執筆者:徳岡孝夫2014年12月5日

 ツイッギーがミニ・スカートでロンドン発の旅客機からタラップを降りてきて、各社カメラマンが羽田の到着ロビーに這いつくばってロー・アングルから狙ったのが1967年10月のことだった。私はその年の初夏、2度目の香港(最初は50年前の1964年)に行った。文化大革命を取材せよという編集長の命令だった。

 日本人の出国が極めて不自由だった1ドル=360円時代、香港は東京よりずっと世界の流行に敏感だった。九龍と香港島を結ぶスターフェリー上甲板のベンチにボンヤリ座っていて気が付くと、目の前の手すりに寄りかかって数人の若い女性がお喋りに熱中していた。それが1人残らずミニ・スカだった。私は心拍数が急上昇するのを覚えた。

 言い難いことを敢て言うと、中国女性は日本女性より総じてプロポーションがいい。もう少しで生殖器が見えるところまでスカート丈を切り詰める。デザイナーのマリー・クワントが世に出したあれは、人類服装史上空前の革命だったと思う。

 北京で猛威を振るっているという「子供の革命」は、すでに香港まで溢れ出していた。

 これもミニ・スカに負けない人類史上最大の革命である。何億という子供や若者が町に繰り出して行進し、「造反有理」と叫んだ。毛沢東は天安門上に現れ、手を振って子らを激励した。

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