二〇〇七年「変化の年」の重要日程

執筆者:池上彰2007年1月号

内外で重要な選挙が目白押し。なかでも韓国大統領選の帰趨は、日本を含む東アジア全体に大きな影響を及ぼす。 二〇〇七年の世界を展望すると、「朝鮮半島包囲網」形成への努力が払われる一方で、別の方角から「アメリカ包囲網」を築こうとする勢力も台頭することになりそうだ。 二〇〇六年は、北朝鮮に振り回された一年だった。七月には日本海にミサイルを多数発射し、十月には「核実験をした」と発表。そのたびに日本政府は北朝鮮に対して経済制裁を発動した。 北朝鮮は「核実験をした」と発表したが、これが即「核保有」ではない。北朝鮮が爆発させたのは、「核装置」とでも呼ぶべきもの。実際の核兵器にするには、爆発の確実性を高め、ミサイルに搭載可能なレベルまで小型化する必要がある。それだけの技術を獲得するには時間がかかる。だからこそ、その前に北朝鮮に核放棄を迫る必要がある。 しかし、北朝鮮に核放棄を説得するのは中国頼み。その中国には説得力がない。 というのも、中国も、かつて「大躍進政策」の失敗で少なくとも三千五百万人の餓死者を出しながら、核実験を繰り返し、核開発を進めた過去があるからだ。このとき毛沢東は、「たとえ中国の人口が半分になっても核兵器を持つ」と豪語した。このときの中国の人口は六億人。たとえ三億人が死んでも、と言い放ったことになる。

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