「農林中央金庫」がただの銀行になる日

執筆者:鷲尾香一2007年1月号

預金総額は八十兆円に迫り立派な“メガバンク”。しかし、よって立つ肝心の農業の弱体化が、否応なしにビジネスモデルの変革を迫っている。「農業を棄てるのかと言われても困ってしまう。生き残りのための選択肢は限られているのだから」 農林中央金庫(農中)のある幹部は吐き捨てるようにそう言った。 二〇〇七年に最も注目されるテーマのひとつは、農業改革の行方だ。衰退産業と化した日本農業にふたたび国際的な競争力を取り戻せるかどうかは、ひとえに農家と補助金のあり方を根本的に変える「戦後農政の最大の見直し」の成否にかかる。ところが、政府系金融機関として発足し、完全民営化された後もなお農協系金融機関の全国組織であり続けた農中は、その結果を待たずして着々と自らの“存立基盤”から撤退を図りつつある。 農業協同組合は長い間、「市町村の農協―県組織―全国組織(全国農業協同組合中央会=全中)」という三層構造をとってきた。これに対応する形で、農協系の金融機関も「市町村の農協―県組織(信用農業協同組合連合会=信連)―全国組織(農中)」のピラミッド構造だった。農協系金融機関では、市町村の農協が窓口となり組合員の農家から吸い上げた資金の三分の二以上が信連に預けられ、その信連は二分の一以上を農中に預けることが義務づけられてきた。上部団体の信連は農協に対する事業指導を行なう立場。最上位の農中は農業関連企業などへの融資はするものの基本的に農家との取引はなく、農協・信連を通して流れ込む農協マネーを「運用」し、下部団体に彼らの運用能力以上の利息を分配するという位置づけだった。

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