「日が暮れるまでには、着けると思うのですが」。どこまでも続く深い森。その中を突き抜ける、がらんとしたアスファルトの州道。道路脇のガソリンスタンドから電話を入れた。 まだ携帯電話も普及していない一九九一年七月初めのことだ。アメリカ・ミシガン州の深奥部。深い緑の木々の上を見上げると、空は抜けるように青かった。向かうのは、メコスタ村。現代アメリカ思想について考え出すまで、見たことも聞いたこともない地名であった。その名が「聖地」のような響きをある人々に与え、そこに住む一老人が「メコスタの賢人」と呼ばれていることも、つい数カ月前にはまったく知らなかった。 人口四百人。メコスタ村のメインストリートらしき通りの小さなよろず屋風スーパーでその老人の名を告げて、道を尋ねると、「パイエティ・ヒル(敬虔の丘)だね」。教えられた通りにボロ車で数分走ると、林の中にドーム状屋根の付いたイタリア風煉瓦造りの古いお屋敷が現れた。 もう八時頃だったかもしれないが、緯度の高いところの夏であり、まだ明るかった。玄関に笑顔で迎え出てくれたのが、ラッセル・カーク博士(一九一八―九四、本連載第一回)とアネット夫人だった。カークは当時、七十二歳。その年の春、湾岸戦争が終わってしばらく経ったころにワシントンの保守系シンクタンク、ヘリテージ財団に講演に来た時、はじめて会って以来だった。

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