昨年末十二月三十日にサダム・フセインが処刑された。二十六日の有罪確定を経て、この日早朝に米側から身柄を引き渡された直後の処刑だった。 フセイン処刑については、欧米や周辺アラブ諸国での議論が喧しい。その拙速さをいぶかしむ声や、裁判と処刑がシーア派による「私刑」と「復讐」の場になってしまったという批判である。それに対してイラクのマーリキー首相が「国内問題だ」と強硬に反論する事態となった。 結論から言えば、フセインの裁判と処刑は、「イラク流」の前権力者の処罰と、国際的に公正とみなされる裁判手続きとの折衷となり、どちらの効果も曖昧となった。そして、判決と引き渡しから時をおかずに処刑したという経緯や、死刑執行の場にシーア派勢力のスローガンを叫ぶ集団がいたことは、結局は新たな権力者による旧権力者の処断というやり方に、かなりの部分依拠せざるを得なかったといえよう。政権のジレンマを体現 まず、西欧諸国の、死刑制度そのものに原理的に反対する立場からの批判については、次元の違う問題というほかない。死刑を否定する価値観がイラクに行きわたっているとは言いがたい。フセインが死刑にならないのであれば、公正な裁きがなされたと納得する者は、イラクではかなり少なくなる。これはシーア派やクルド人の間では圧倒的な受け止め方だが、スンナ(スンニ)派の住民にしてもフセインの恐怖政治を経験したことに変わりはない。よほど運が良くない限り、政権を失ったフセインが死刑に処されることはやむをえない、ということはスンナ派の住民も共通の前提としている。彼らの批判は、現政権を認めないがゆえにフセインの有罪も認めない、というだけのことである。

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