人質事件の行方:安倍首相の試練

執筆者:2015年1月29日

 日本政府は、「イスラム国」を名乗る非国家主体暴力集団を「ISIL」と呼称することになった。筆者も、この集団をISILと呼び今回の事件を考えたい。

 

 日本のメディアには、事件発生直後から「人質救出に役立つ報道」、あるいは「テロ戦争の舞台に引きずり出された日本」という意識も薄く、「日本の対応、相手は全部見ている」と表題しながら、ネット情報を逆手に利用する知恵も乏しい。「政府に手詰まり感」とあるが、現実は、対テロ戦争に大国も、国際システムも手詰まり状態にある。

 ソマリアの海賊対処は、諸外国シーパワーとの共同下、ミリタリー(自衛隊)とコンスタビュラリー(海上保安庁)タッグの実力行使が功を奏している。北朝鮮の拉致対応は、国民の目からすれば政治・外交的に翻弄され進展が見えない。そして、ISILを相手に日本が単独で太刀打ちできる望みがあるとすれば、要求どおりに金銭で解決を図る以外に無い。

 

「新たな脅威」「新たな戦争」、そして「人間の安全保障」と言われて久しい。しかしこうした事件発生の度に「想定外」の如き右往左往は、国民に「安全保障」に関わる不安を与え、報道は、「政治家の口先発言」、「学者の論文ネタ」、「評論家のメシのタネ」にしか映らない。行政には、学者やプロが専門的に掘り下げたことを「活かす」役割がある。その究極がミリタリー(自衛隊)、コンスタビュラリー(海上保安庁)を動かす政治家・官僚のシビリアンコントロールではないか。

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