検察と金融庁に資本主義が担えるか

執筆者:喜文康隆2007年3月号

「市場メカニズムのルールや適用範囲は、ときに応じて調整されなければならないが、そのようなルール自体を市場メカニズムで決めるわけにはいかない」(村上泰亮『産業社会の病理』)     * 今から十五年以上前の一九九一年、マスコミ関係者の間で、ある社会部記者の転籍が話題を集めた。毎日新聞社から朝日新聞社へ。マスメディアの世界でも中途採用の機運が出始めていたとはいえ、中央紙のスター記者の転籍は珍しかった。バブルが破裂して、その影響が日本システム全体に及び、長い苦闘の時代が始まる時であった。 この一月、朝日新聞社から出版された『特捜検察vs.金融権力』は、日本の特捜検察に最も食い込んだ村山治が、検察庁と大蔵省(現・財務省)という二大権力を頂点とする体制が崩壊していく十五年を、自らの事件記者としての総括と重ね合わせて描いたノンフィクションである。それは資本主義という言葉を使わない資本主義論でもある。 立花隆が週刊文春の「私の読書日記」のなかで、この本に最大級の評価を贈っている。「要するに地検の特捜部が扱った有名事件のオンパレードだ。……この本の面白さは、個々の事件の細部にはない。むしろ一連の事件の摘発過程全体を追ったときに底に見えてくる大きな流れにある」

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