2月10日に行われた政府開発援助(ODA)大綱に代わる「開発協力大綱」の閣議決定は、日本の戦後の外交政策の歴史的な変革だった。単に他国への軍事援助を「解禁」するという表面的な事象にとどまらず、新大綱が目指すものが、ODAは日本にとって何なのかという従来の理念まで覆すものだからだ。

 それは、意識的に「国益」を消してきた日本のODAが、今後は「国益」を基本にすえるという180度の転換に踏み切ったことであり、日本がODAで育てた中国の台頭によって迫られた皮肉な結果でもある。

 

ODAは「贖罪」と「免罪符」

 戦後長きにわたり、軍事力の行使ができない日本にとっては、外交政策が事実上、ODAの支出を通して組み立てられてきた。同時に、ODAは日本にとって良くも悪くも、世界とアジアに対する「罪滅ぼし」の意味を有していた。大戦によってアジアに混乱と犠牲を与えた日本が再出発するにあたり、アジアに何ができるかを考えたとき、日本の資金力+開発ノウハウをODAという形でアジアに供することで、平和国家日本のリスタートにおける「免罪符」にしたのである。

 そのことは、ODAの原点が東南アジアに対する戦後賠償だったこととも密接につながっている。

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