スンニ派に眠らされたわが古い記憶

執筆者:徳岡孝夫2007年4月号

 歴史をつくる人は、その直前に悩ましい一刻を味わうものらしい。女として初めてアメリカ大統領になろうかというヒラリー・クリントンも例外ではなかろうと推察される。 勝って壇上に立ち、喜び狂う支持者の叫び声に祝福される。無数の風船が上がる。天井から滝のように紙吹雪が降る。感動に声つまらせながら「アメリカは歴史のドアを開いた」といった意味のことを、気のきいたスピーチにまとめて言う。 プレジデントという終身称号を持つ夫ビル(ファースト・ハズバンドと呼ばれるようになるのか?)と腕を組んで、かつてファースト・レディとして住んだ家に、マダム・プレジデントとして入る。世界中が投げる視線の焦点に立つ。目くるめく瞬間。ところが人生の跳躍の前には、えてして躊躇と煩悶がある。 先日ヒラリー上院議員は、夢を現実にするために必要な最大の武器を手放そうとした。いや手放すと、もう宣言してしまった。 五年前の米上院は、サダム・フセインのイラクを武力で叩くための決議案を議論した。ヒラリー議員は決議案に賛成し、それは「ブッシュの戦争」「共和党の戦争」を支える大義になった。だがヒラリーは「あのときの賛成投票は間違いだったと認めて謝る気はない」と言うのである。

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