『江南春』青木正児著平凡社東洋文庫 1972年刊 一九四九年の建国から七八年末に改革・開放路線に踏み切るまで、中国人は国内に閉じ込められたまま毛沢東が指し示すがままに過激な政治運動に明け暮れていた。そしていま彼らは国を挙げてカネ儲けに邁進し、堰を切ったように海外に飛び出し、世界に満ち溢れる。政治から経済へ、国境の内側から外の世界へ――我々が目にする中国人は、七〇年代の末頃を境に、まったく違ってしまったように見える。 だが、中国人の本質が、いとも簡単に変わってしまうものだろうか。中国庶民への強い関心 研究室で地酒の名品を愉しみ、教室には粋な着流しで現れ、ほんのりと酔いつつ講義をはじめる――こんな“伝説”を持つ青木正児は、昭和三十九年(一九六四年)に数え年七十八歳でこの世を去った中国文芸の研究者で、京都帝国大学に学び、戦前は同志社大学、東北帝国大学、京都帝国大学などで、戦後は山口大学で教授を務めている。 青木にとって師匠筋に当たる内藤湖南に代表される戦前の中国研究者の多くは、日々悪戦苦闘して生きる中国庶民を視野に入れることなく、絢爛たる中国文化をひたすら讃え、古典の四書五経や「史記」に象徴される歴史書の数々を繙きながら、中国と中国人とを解読し、国民に向かって教えを垂れていた。だが、古典や歴史書は、王朝交替期に発生した戦乱や、次々と襲う洪水・旱・虫害などの自然災害の猛威に苦しむ庶民にとっては、なんの役にも立たなかったのだ。

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