――羽田国際化の足を引っ張った「日本村」の構造――【序曲】突然、大号令 今年になってにわかに盛り上がった羽田空港国際化構想。賛否激しくぶつかり合った経緯の中に、政官民のお粗末な姿が浮かびあがった。 きっかけは昨年十月、安倍晋三首相の指示で検討が始まった「アジア・オープンスカイ構想」だった。中国を中心に急成長するアジアとの関わり方は日本の命運を左右する。この巨大市場の玄関口になれるかどうかで、日本の金融・情報・サービス立国の成否が決まる。それには、外国から人やカネ、情報を呼び寄せるインフラの競争力が不可欠だ。 というわけで、直ちに首相得意の有識者による諮問会議「アジア・ゲートウェイ戦略会議」が立ち上がった。ゲートウェイ構想案には他に「文化力・知的創造力」や「金融力」、「農業の変革などを通じた『地域力』」、さらには「リーダーシップ」の強化も盛り込まれたが、「オープンスカイ」はそれらの冒頭に掲げられた。 ちょうど、羽田空港の再拡張工事が約三年後に完成する。四本目の滑走路ができて、発着回数は現在の年間約二十九万回から約四十万回へと十一万回増える。これを機に原則国内線専用の羽田空港を国際線兼用の空港にして、空港の「国内・国際分離政策」を転換するのが「アジア・オープンスカイ構想」のための切り札で、今年の骨太方針の柱となる予定だった。

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