イタリア国内の金融・産業界を長年リードしてきた投資銀行のメディオバンカ(本社ミラノ)が変わろうとしている。二人いた共同社長を一人にした上で、取締役会を執行役員会と監査役会の二つに分け、経営統治(ガバナンス)を高めようというのだ。ようやく一般企業と同じ組織に改革する背景には、イタリアで銀行の再編が急速に進み、メディオバンカが中心となって構築した銀行同士の株式の持ち合い関係が崩れていることがある。 戦後のイタリア経済はメディオバンカ抜きには語れない。規模が大きい投資銀行ではないが、首都ローマ中心の国営企業や外資に対抗するために、同行は複雑な株式の持ち合いと人脈による密室経営を築き、フィアットなどイタリア北部の民間企業の庇護者の役割を担ってきたからだ。メディオバンカと関係を持てば、経営危機にある時は救済してもらえるが、同時に仲間を助ける義務を負うという相互扶助のルールもあった。金融・産業界の「総本山」として、その力は日本の五五年体制下の大蔵省+日本興業銀行に匹敵するものだった。 今回の組織改革のきっかけは、イタリア第二位の銀行ウニクレディトとカピタリアの合併で、国内最大のメガバンクが誕生したことだった。両行合わせてメディオバンカの株式を一八%持つ最大の株主になるため、国内の大手銀行インテーザ・サンパオロなど他の株主から「両行の影響力が大きくなりすぎる」との不満が出ていた。

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