宮沢喜一「ケインジアン」としての墓碑銘

執筆者:喜文康隆2007年8月号

「新しい自由主義は、社会の財産である知性・科学の力と政府の力とを結びつけることによって、『社会化された経済制度』を構築しなければならない」(佐々木毅『アメリカの保守とリベラル』)     * 七月一日に青山葬儀所で営まれた宮沢喜一元首相の密葬は、簡素にして淡々としたものだった。黙祷のあと挨拶に立った長女の啓子は、父・宮沢喜一の思い出を洒脱に語った。「変人」とみられ「妖怪」とさえいわれた父の生前の評価に言及しつつ「人にお世辞を言わない。ある意味では正直すぎる性格のゆえに身もふたもないぶっきらぼうな対応をしていた」と語り、日本経済新聞の記事について「父の実像をこれほど正確に外部でみていてくれた人がいたことがうれしい」と付け加えた。 その記事というのは同紙客員コラムニストの田勢康弘による「激動の時代と合わなかった知の宰相」(六月二十九日付)である。少し長くなるが冒頭の文章を引用する。「宮沢喜一氏ほど対話の相手を緊張させる人はいない。どんな言葉が飛び出すのか予想もつかないからだ。初めて名刺を差し出した三十数年前、『十月八日、誕生日が同じなんですよ』と興奮気味に持ちかけた私に、大きなソファの前のほうにちょっとだけお尻を乗せた格好の宮沢氏は、首を少しかしげながら、こう言い放った。『それが、何か?』」「この身もふたもないところがこの人のたまらない魅力なのである」

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