インドネシア人研修生「不法再入国」の真因

執筆者:出井康博2007年9月号

 インドネシア・ロンボク島出身のアデ君(仮名・二八)は、東京都内にある大型車の修理工場で働いている。二〇〇四年に外国人研修・技能実習制度(以下、研修制度)で来日。三年の研修期間を終え、今秋に故郷へと帰国する。今の悩みは、帰国後の生活だ。 日本で覚えた仕事はロンボク島にはない。帰国後、他の研修生と一緒に現地日系企業の面接を受けるつもりだが、職を得られるのは十人に一人以下。日本での研修内容よりも語学力が求められる面接で、日本語検定三級レベルのアデ君が採用される見込みは低い。「日本に来たことは後悔していません。でも、研修は考えていたものとは全然違った」 インドネシアでは、建設現場のアルバイトなどで食いつないでいた。月収はせいぜい日本円で一万円ほど。研修制度に応募したのは、「日本に行けば金を稼げ、しかも最先端の技術が学べる」と思ったからだ。 日本の研修生派遣機関が主催し、ロンボク島で行なわれた選抜試験には、一千人近い若者が集まった。難関を突破し合格者の七十人に選ばれたときは、天にも昇る思いだった。 インドネシアから来日する研修生は毎年三千人を超え、国別ではトップの中国に次ぐ。ほとんどが二十代前半の男性で、研修先には製造業が多いのが特徴である。

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