いまこそ第2の福田ドクトリンを
2007年11月号
ちょうど三十年前の夏、福田赳夫首相は東南アジア各国を歴訪し、最後の訪問先のマニラで後に「福田ドクトリン」と呼ばれるようになった演説を行なった。その内容は、第一に日本が軍事大国にならないということ、第二に東南アジアの国々との間に「心と心のふれ合う」相互信頼関係をつくること、第三にASEAN(東南アジア諸国連合)とインドシナを含む東南アジアに平和と繁栄をつくることに寄与すること、という三項目からなっていた。 このようなドクトリンを作った背景には、ベトナム戦争の終結や日本と東南アジアとの経済関係の進展などさまざまな要因があったが、その中でも重要だったのは、東南アジア諸国の人々の間にある日本への不信感をなくさなければならないという認識だった。この演説がなされる三年ほど前の一九七四年、田中角栄首相が東南アジアを訪問したが、ジャカルタとバンコクで田中首相を待ち受けていたのは、学生などを中心とする反日デモであった。経済関係が進展するなかで、東南アジアの人々の間では、かつて日本は軍事的に侵略したが、今、日本は経済侵略をしているのではないか、さらには、再び軍事的にアジアに進出してくるのではないかとの懸念が語られたのであった。
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