イエローキャブを飾った子供たちの塗り絵

執筆者:大野ゆり子2007年12月号

 ニューヨーク(NY)のオペラ、コンサートなどの観客数は、二〇〇一年九月十一日直後、激減したという。明日、どんな運命が待っているかわからない、という恐怖心が、人々の行動パターンを変えてしまったようだ。私たちの周囲でも、敏腕アーティストマネージャーとして知られていた女性が、まだ小さい子供のそばにできるだけ居てあげたいと、仕事を辞めた。 何よりも家族との時間を優先したいというのは、テロ直後の、多くのニューヨーカーの共通した心理だったようだ。子供をベビーシッターに預け、夫婦で大人同士の時間を食事やコンサート、オペラで過ごしていた比較的余裕のある層が、夜の外出を止めてしまった。 九・一一直後にどん底に落ちた入場者数のグラフが、最近になってようやく、ほぼ以前並みに回復してきたという。しかし、アメリカ人と話していると、何かの瞬間に、彼らの受けたショックが、乾ききらないかさぶたのように、癒え切っていないのに気づくことがある。 私が米国に留学していたのは、一九八〇年代の中ごろだった。留学していたところは海軍の街で、大学のキャンパスにも軍の関係者が多かった。旅客機乗っ取り事件などアメリカ人が殺害されたテロ事件が相次ぎ、その黒幕としてリビアの独裁者カダフィー大佐の名が「悪」の代名詞になった。テロ支援への報復としてリビアの首都トリポリ市が米軍によって爆撃された日、私の大学では、学生たちがお祭り騒ぎになり、授業は祝賀ムードで休講になった。街にはまだ、足を失くしてアル中になったベトナム帰還兵がいたが、ようやく国自体はベトナム戦争のトラウマから立ち直ったといわれ、「ベトナム戦争再考」といった本が、多く出版され始めたころだった。

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