二〇〇七年十二月二十三日にタイで実施された民政移管のための総選挙は、〇六年九月のクーデターによって国政の全権を掌握した国軍が進めてきた「タクシン潰し」の失敗だけではなく、国軍による政治がすでに機能しなくなったことを内外に示したように思う。 民政移管を前に国軍はダミー政党を登場させ総選挙後の政局の主導権を確保し、国軍首脳を首班とする新政権を作り上げ実質的に軍人政治を継続させるのが、タイ政治の従来の姿だ。なによりもクーデターとは、国軍主流が政権を奪取するための手段だった。だが今回、国軍はダミー政党を組織できなかったばかりか、無様にもタクシン前首相のダミー政党の活動を傍観するしかなかった。 下院四百八十議席の新たな内訳は別表の通りだが、注目すべきは民主党とタイ国党を除く五党が軍政期に解党処分を受けたタクシン与党のタイ愛国党所属議員からなっていること。つまり程度の差はあれ、五党はタクシンのダミー政党なのだ。そのうえ経済活性化、農村振興を中心とする選挙公約は、反タクシンの急先鋒である民主党も含め各党共にタクシン政権のそれと大同小異。軍政への信認など有権者にとって論外だった。 軍がクーデター決起の際に掲げたタクシンの不正蓄財疑惑追及はうやむやのまま。タクシン政権最大の失政と糾弾し根本解決を明言したはずの南タイにおけるイスラム教徒対策にしても無策に近く、混乱はエスカレートするばかり。外資規制など時代遅れの経済政策を持ち出して経済を冷え込ませてしまった。

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