史上に例のない、一地域の出身者が政権を固めるロシア。異常現象の中で、内部抗争や近親憎悪が広がり始めた。 かつてはレニングラードと呼ばれたロシアの古都サンクトペテルブルク。市内を流れるネバ川に近い市庁舎は、一九一七年のロシア革命時に亡命先から戻ったレーニンが革命本部を設置し、ソビエト政権の樹立を宣言した由緒ある建物だ。帝政時代の貴族女学校で、現在は改修され、マトビエンコ市長ら市の幹部が執務する。 九一年から五年間、旧ソ連国家保安委員会(KGB)上がりのプーチンもこの市庁舎三階にオフィスを構え、恩師のサプチャク市長の下で第一副市長兼対外関係委員会議長として采配を振るった。プーチンの執務室と並んで、現在政権に名を連ねるズプコフ首相、セチン大統領府副長官、メドベージェフ第一副首相、チューロフ中央選管委員長、クドリン財務相、ナルイシキン副首相ら、対外関係委員会のメンバーがオフィスを持っていた。 筆者は二年前市庁舎を訪れたことがあるが、中年の女性スタッフは「プーチンさんは執務室にピョートル大帝の肖像画を掲げていた。すぐ隣は首席秘書だったセチンさん。メドベージェフさんは法律顧問で常駐ではなかった。若くて目立たず、学生と間違えられた」と回想していた。この対外関係委員会メンバーが、やがてそっくりクレムリンの実権を握るとは「夢にも思わなかった」という。

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