クリバリが立てこもり事件を起こしたユダヤ人スーパー(筆者撮影)

 

 大多数の受刑者は、刑期を終えると自らの罪を悔い改め、真っ当な人生を歩もうとする。その意味で、出所後の便りがないのは、基本的にいい知らせだ。アメディ・クリバリの場合も、2014年3月にヴィルパント刑務所を出所し、5月15日に居どころを明らかにする発信器付きブレスレットを外されて以降、消息がぱったりと途絶えた。それはごく普通のことだと当局に見なされ、彼のことは忘れられた。

 以後、クリバリが表舞台に登場するのは、今年1月に風刺週刊紙『シャルリー・エブド』編集部襲撃事件が起きて後のことである。それまでの8カ月近くの間、彼は極力目立たぬよう振る舞った。盗みや強盗を繰り返し、はたまた刑務所の不正を告発したり若手労働者の代表として大統領府に招かれたりと、何かとお騒がせ人生だった彼にとって、珍しくおとなしい時期だった。

 しかし、その陰でクリバリは着々と準備を進めていた。刑務所内で培った人脈に、故郷のかつての犯罪仲間たちを合わせてチームを結成し、武器の調達に奔走したのである。クリバリは、自ら引き起こす警察官射殺事件とユダヤ人スーパー立てこもり事件だけでなく、クアシ兄弟が実行した『シャルリー・エブド』編集部襲撃事件のお膳立ても担ったと考えられる。

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