「偉い人」の作る物語

執筆者:徳岡孝夫2015年9月21日

 この世に生まれて生存競争に勝ち、高い地位に上った「偉い人」は、決して自己の成功に満足しない。満足するようなヤツは、そもそも「偉い人」になっていない。
突飛なようだが、私はその一例にあの12月8日、開戦時の首相、東条英機を挙げる。
 宣戦の詔書がラジオで重々しく朗読された。それに続いて東条首相の謹話(大本営発表の後だったかもしれない)がラジオから流れた。私はそれを校庭で聞いた。
 東条氏は「この未曾有の難局に当りまして……」と言うべきところをミソーユーのと発音した。
 小学6年だった私は「ぁ、間違ってる」と心に叫んだ。私の中の「小さい校正係」が、そう感じさせたのだろう。
 それがどうだろう。そのときからラジオに出る人出る人、みなミソーユーのと発音(そういう読みがあるのかもしれないが)と言った。小学生はひとり「おべんちゃらしてやがる」と呟いた。むろん言論統制の時代である。子供にも子供なりの知恵がある。親にも言わなかった。

 すみれの花咲く頃、初めて君を知りぬ。昨年は「宝塚100年」の記念の年だった。大劇場のフィナーレ近い一幕、司会者に促されて親・子・孫がタカラジェンヌだった3人が舞台に並び、3人1組が一斉に手をつないで見せた。ラジオを聞き漏らしたが、驚くべき数の3人組だったという。
 英雄も美女も、1代にして成らない。子や孫(または人民大衆)や朋友、賛美者、演出者あって初めて英雄は英雄になる。

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