パリは「たゆたえども沈まず」(Fluctuat nec mergitur)

執筆者:大野ゆり子2015年11月18日

 ヨーロッパに住んで23年以上になるが、2015年11月13日は、価値観の大きな分岐点として、西洋史に記憶されるのではないかと思う。自由、平等、博愛という理念を掲げながら、大げさに構えず、肩に力が入ることを何より嫌って、non-chalantと言われる“何気なさ”を好むのが、フランス風のエスプリ(粋)だった。しかし、劇場やレストランで楽しい時間を過ごしていた一般市民に銃口を向けたテロリストたちは、多様化の中で、自分らしく生きることを愛する、フランス人の生き方や価値観に対しても、嘲笑いながら挑戦を突きつけたように思える。

厳粛な静けさ

 夫が勤務するリヨンオペラ歌劇場は、パリにあるオペラ・コミック座で同時テロの翌日に公演を行う予定だったが、17日火曜日まで喪に服するために、劇場関係者たちの間でフランス全土で公演の中止が申し合わされたという。フランス国民は被害者と気持ちを1つにして「連帯」を示している。パリ市内の病院には、誰の連絡を受けたわけではないのに、自発的に医者、看護師たちが集まり、次々と運び込まれる患者の手当てに全力を尽くしているという。すでに冬空が広がる気温が低いパリでは、被害者へ献血するために集まった人々が、順番を待っている。
 個人主義が強く、普段は仕事が終わったら、自分の時間を他人のためには使わないフランス人にとって、これは異例のことだ。今回の非常事態に、居てもたってもいられず、何か行動を示したいという強い意志の表れだろう。私はたまたま日本からテロの翌日の朝、パリ・シャルルドゴール空港に入ったが、空港での入管手続に長い列ができても、人々は辛抱強く待ち、厳粛な静けさが街に漂っているのを感じた。
 たゆたえども沈まず(Fluctuat nec mergitur)――これは16世紀から存在する、パリ市の紋章にある標語だ。帆いっぱいに風をはらんだ帆船とともに刻まれているラテン語は、「どんなに強い風が吹いても、揺れるだけで沈みはしない」ことを意味する。もともと水運の中心地だったパリで、水上商人組合の船乗りの言葉だったが、やがて、戦乱、革命など歴史の荒波を生き抜いてきたパリ市民の象徴となっていった。無差別テロの標的にされたパリにとって、この標語はまるで、決意のような響きを帯びてくる。

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