ミャンマー新政権の「課題」と「挑戦」

執筆者:宮本雄二2016年1月3日

 私が大使を務めていた2000年代前半、ミャンマーは八方ふさがりの状況だった。経済は長期停滞しているのに、改革を進めようとしても、その都度、軍の守旧派に押し戻され、結局元の木阿弥だった。経済の発展に必要な西側諸国との関係も、アウン・サン・スー・チー氏との和解を進め、民主化を進めないと打開できないのに、軍の守旧派はいつも及び腰だった。

「民主化ロードマップ」の再評価

 このジレンマを打破するために、軍の数少ない改革派だったキン・ニュン首相は、2003年、渾身の力で一手を打った。それがASEAN(東南アジア諸国連合)の協力を得て作成された「民主化ロードマップ」である。だが間もなく肝心のキン・ニュンが権力争いに敗れ、この動きは頓挫し、再びミャンマーの停滞と漂流が始まった。
 2007年、米英両国は国連安全保障理事会にミャンマー問題を付託するという強い圧力をかけた。そして議題として採択された(議題の採択は「手続き問題」であり、中国は拒否権を使えない)。ミャンマーの軍事政権はついに折れ、対外関係を大きく調整し始めた。覚悟を決めたのだ。そこで唯一の現状打開策である「民主化ロードマップ」が再評価され、これを本格的に動かし始めた。08年に国民投票により新憲法が制定され、10年に憲法に基づき選挙を実施し、11年に国会が召集された。

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