本誌が届いたらまず巻末を開き、徳岡孝夫氏のコラム「クオ・ヴァディス」から目を通す読者が多いに違いない。かつて「諸君!」という雑誌もそのように読まれた。山本夏彦氏のコラム「笑わぬでもなし」が続いていたころである。 夏彦氏が六年前の秋に逝って以来、真っ先に巻末を読者に開かせる名コラムといったら、徳岡氏の本誌連載の他にない。氏もそう意識して書き継いでいるに違いない、と評者はにらんでいる。その連載の中から拾い集めて一冊に編んだのが『「民主主義」を疑え!』である。 腰帯には「新聞、テレビはなぜ堕落したか?」とある。本文第四章はずばり「『マス・メディア』を疑え」とあるから、大手メディアに勤める評者に書評を求めた本誌編集部の意図も、ははーん、と呑み込めた。夏彦流にいえば「意地悪は死なず」である。でも、くじけず筆をとる。 本書の次のようなところで、読者はきっと膝を打つだろう。イラクの特別法廷はサダム・フセインを裁いて、一昨年末に絞首刑とした。公判廷でサダムはその裁判の不当を突いた。日本のメディアは同調するように米軍占領下の裁判は「公正中立であり得ない」と批判した。 ならば、同じ米軍占領下で行なわれた東京裁判はどうなのか。サダムの虐殺を裁くイラクの裁判への批判の筆が、東京裁判になるとへなへなと折れてしまう。

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