人間関係で大事なこと

執筆者:成毛眞2016年4月21日

 私は、自分と合わない人、言い換えると付き合ってもいいことがない人とは付き合わない。それは一緒に飲みに行けばすぐ分かる。たとえ相手が下戸であっても、酒場の雰囲気はアルコール以上に人の心をゆるめる。そういう場であっても、徹頭徹尾、建前を通す人がいる。この場合、酒を飲めるかどうかは関係ない。本音を話さず、何かから自分を守ろうとしている。こういう人と私は付き合おうとは思わない。
 その場にいない人の悪口を言う人もお断りだ。悪口が劣情的なものであればなおさらである。そういう人は、私のいないところで私についての劣情的な悪口を間違いなく言う。そして困ったことに、聞いた側は大半がそれを信じてしまう。となれば、私の人間関係に与える影響は少なくない。それを防ぐには、劣情的な悪口を言う人の視界と頭の中から、自分の姿を消すしかない。消えれば、その人は別の人の悪口を言うだけのことだ。
 自分の姿を消すには、徹底的に無視をするに限る。電話には出ない。SNSはブロックする。メールアドレスは迷惑メールに指定する。冷酷に聞こえるかも知れないが、そうしないと自分の身を守れない。だらだらと付き合っていたら、私はそのような人物と付き合う人間だと思われてしまう。こんな損なことはない。
 それに、関係を断っても、逆恨みされることは案外と少ない。その人にとって、悪口を聞いてくれない私のような人間は存在価値が低いのだろう、別の聞き手を探して去って行く。稀に共通の知人を介して連絡を取ってくることがあるが、その場合はその共通の知人との付き合いも断つ。
 私を冷たい人だと言う人もいるだろうが、それ以上に、私の周りにはいい人しかいないと言う人も出てくるかもしれない。これはとても重要なことだ。なぜなら「いい人しかいない」と言っているその人自身も、私から見ればいい人だからだ。もし「悪い人もいる」と思う人がいればその人も内心、私から悪い人と見られているのではと疑念を持つに違いない。それは実に残念だ。
 この考え方は、実は組織を作るときと同じである。いい人しかいない組織はいい組織だし、悪い人が一人でもいるとその組織は悪い組織だ。
 マイクロソフト時代、社長としての仕事の一つに人事の方針決定があった。毎年、何人かの社員に退社してもらっていたのである。基準は優秀かそうでないかではなく、会社に合うか合わないか。つまり、会社にとっていい人かそうではないかだ。ほかの社員が「この会社にこういう人がいて大丈夫なのか」と不安を覚えるような人と言ってもいい。
 どんな会社にも社風がありどんな人にも個性がある以上、相性の善し悪しは必ずある。相性の悪い会社で時間を過ごすのはその人にとって不幸なことだし、会社、そしてそこで働くほかの人にとっても同じことなので、別の会社で働くことを選んでもらった。
 

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