『新編 教えるということ』大村はま著ちくま学芸文庫 1996年刊(単行本は共文社より73年刊。現在も入手可能) 最近の教育界は、「学び」礼賛の声が溢れている。子どもたちが「自ら学び、自ら考える」。「生きる力」を育てる教育が目指すべきは、子どもたちの主体的な学習である。子ども自らが、自分の興味関心にしたがって、調べたり、発表したりする。自ら学ぼうという意欲を育てることが「新しい学力」の根幹をなすというのが、この二十年ばかりの間、日本の教育界で奨励されてきたことだ。 このような時代に「教えるということ」にはどのような意味があるのか。下手をすれば、教師による「教え込み」、子どもの個性を尊重しない教育として退けられかねない。だが、少し考えてみれば気づくように、いかなる「学び」といえども、教師の「教えるということ」とまったく無関係に成立するわけではない。いや、むしろ、豊かな「学び」を誘発するためには、教師の優れた働きかけが不可欠であるとさえいえる。 言うは易く行なうは難し。それでは、そうしたすぐれた「教えるということ」はどのようにすれば可能なのだろうか。それを目指す教師という仕事は、どのようなものなのだろうか。

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