革命を「保守」したカストロの退場

執筆者:徳岡孝夫2008年4月号

 金正日は、いつもジャンパーを着ている。キューバのフィデル・カストロ議長は、ずっと戦闘服で通してきた。中国の指導者さえ近頃は、背広にネクタイを締めることにより、世間の常識に一応の敬意を払うようになっている。そういう世界の中で、金とカストロだけは「俺は違うんだぞ」と、突っ張ってきた。ま、どんな教室にも、そういうヤツはいたなあと思い出す。 カストロは齢八十一に達して国家元首の職から引退すると発表した。それを、共産党機関紙へのメッセージという形で言った。しかし辞意なら、国営テレビ幹部に宛てた昨年末の書簡の中で、すでに言っている。「私の唯一の願望は、思想の闘いで一兵卒として闘うことにある」 トルコのアンカラには、近代トルコを築いたケマル・パシャの壮大な廟がある。ケマルの棺の上にはポツンと一つ、従軍記念章が置いてある。第一次世界大戦に従軍したトルコ兵士なら、誰でも貰える、平凡な記章である。 人は褒章、勲章、銅像、基金、または著書や自らが創業した企業に己が名を冠することにより、限りある命を「永遠」につなげようとする。ケマルとカストロは、それを地位も身分もない兵士との「連帯」によって成しとげようとした。

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