謎多き、祇園の花街

執筆者:成毛眞2016年7月14日

 京都・祇園の花街は、通うごとに謎の深まる場所だ。何年通っても次から次へと知らないことが出てくるのだ。軒を並べるお茶屋はいわば自宅を常連客に貸し出すという建前だから、大半が一見さんお断り。そこに料理屋から料理が運ばれ、置屋から舞妓・芸妓が派遣されてくるのはよく知られていることだろう。
 なりたての舞妓は「お仕込みさん」と呼ばれ、稽古事をしながら先輩の舞妓や芸妓の仕事を見て学ぶ。1年から1年半後には「お見世出し」、つまりデビューを迎える。「お見世出し」は15歳以上という決まりだが、これは京都市の条例で認められている特例だ。デビュー直後の舞妓の襟は赤だ。しかし、年季を重ねると次第に白糸の刺繍が施され、お姉さん舞妓になると真っ白になる。
 舞妓は何年かたつと芸妓に変わる。ご存知のとおり舞妓と芸妓は一目で見分けられる。舞妓は振り袖とダラリの帯。芸妓は黒紋付きなどの留袖だ。ちなみに舞妓は地毛で髷を結っているが、芸妓はカツラをかぶっている。だから実はショートカットの芸妓が少なくない。
 祇園では芸妓になるタイミングは人によって異なる。その差は本人の希望や年齢だけでなく、舞妓が何人いて芸妓が何人いるか、そのバランスで、お師匠さんによって決められるようだ。だから何年も舞妓のままでいることもあるし、すぐに芸妓になることもある。
 舞妓は置屋で暮らしているが、芸妓は基本的には置屋を出て一人暮らしをしている。ただし置屋の近くに住んでいることが多く、お茶屋の常連客すなわち旦那衆は、どの芸妓がどこに住んでいるかを知っていることも珍しくない。
 芸妓を引退したらどうするかは人によってさまざま。最初から地方(じかた=三味線や太鼓の演奏者)の道を選んでいる人もいるが、バーなどを開業する人もいる。一般企業に就職する人も、専業主婦になる人もいる。何年続けるかも人それぞれで、あっさりとすぐに辞める人もいれば、会社員が定年を迎える年齢くらいまで続ける人もいる。だから花街に通い続けていると、人との縁ははかないものと実感することもあるが、10代半ばくらいからの彼女たちの成長を、まるで親戚の子供が大きくなっていくのを見守るような気持ちで味わうこともできる。
 こういったことは、花街に実際に通ってみないとなかなかわからない。そして、行くたびに「ああ、そうだったのか」と初めて知ることがある。それは花街の人々が隠し事をしているというよりは、少しずつ理解できるような仕組みになっているのだと思う。
 つまり花街は常に新しいものを見せてくれるのだ。だから私は面白いと思うし、通い詰める人も多い。それも現代だけでなく、江戸時代から続いているのだから、普遍的な魅力があると言っていい。

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