日本も油断できない「米政権末期」の乗り切り方

執筆者:マイケル・グリーン2008年5月号

[ワシントン発]米大統領の任期最後の一年は、米日関係にとって何が起こるか予測しがたい厄介な年になる傾向がある。レーガン政権の最終年だった一九八八年には、米通商代表部と商務省という政権内部からの「反乱」が起こった。航空自衛隊が次期支援戦闘機FSXを自主開発しようとしたために(最終的には日米共同開発)、日本異質論を唱える修正主義者が日米同盟を重視する現状維持派の高官に噛みついたのだ。 次に政権を担った先代のジョージ・ブッシュ大統領は、選挙の年の一九九二年、保護貿易主義者の圧力に膝を屈した。ホンダ、トヨタ、日産など日本の自動車メーカーのアメリカでの急速なシェア拡大に業を煮やした米三大自動車メーカーに突き上げられ、三社の幹部を伴って日本を訪れたが、経済的な人気取りを狙ったこの努力も、宮澤首相主催の晩餐会の最中に、大統領が嘔吐するという不幸な結果に終わった。 ビル・クリントン大統領も最終年の二〇〇〇年、金正日に会うために訪朝する寸前にまでいった。これには日本政府のみならず、身内の米国家安全保障会議のメンバーさえも肝をつぶした。 では、なにゆえ政権最後の年は、日本にとってアメリカの外交政策が予測不可能なものとなるのだろうか。まず第一に、政権が死に体となる「レームダック」問題があるのは明らかだ。政権末期には、通常、大統領の人気は急速に衰える。政権を支えてきた優秀な側近たち――「ベスト&ブライテスト」――も仕事に疲れ、次の活躍の場を求めて政権を去っていく。官僚、とりわけ国務省の官僚たちは、現行大統領の掲げる政策の遂行を引き延ばしていれば、やがて新政権が成立し、自分の考えに近いボスがやってくる可能性があることを心得ている。往々にして外国政府も、死に体となった大統領に、以前ほどは畏縮したり感銘を受けたりすることはない。

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