「新たなステータス・クォー」への継承を

執筆者:林吉永2016年8月13日

 去る7月12日に仲裁裁判所が下した「南シナ海に関する判決」は常識的結果であった。しかし、中国にはその常識が通用しない。

 日本は、中国だけでなく韓国、北朝鮮、ロシアとも領域・人権問題を抱え、解決の糸口を見出せていない。いずれも自国の主張が正義で、相手が間違っているとする前提があって、さらに国際秩序の認識ギャップが理解の共有を至難に陥らせている。相互に共通しているのは、実力行使が危惧される深刻な対峙状態にあるという「安全保障環境を損なう現実認識」と、「問題を解決したい意識」の存在である。
 
 秩序を共有する多数国と拒絶する国との間には、主権と国益を巡って対立が発生する。加えて、軍事力を信奉する国は、固有の秩序を盾に対立国の秩序を否定し軍事衝突も辞さない脅威を及ぼしている。
 
 この種の問題の歴史的かつ伝統的な解決手段は武力であった。古典的戦争においては、アレキサンダー大王、ユリウス・カエサルに代表される「勝利者の力」が絶対正義だった。ウエストファリア体制発足までのカトリック全盛期には、「神(教皇)」が戦争の正義を認証した。ナポレオン戦争を経てクラウゼヴィッツは、「戦争は政治の継続」と謳い戦争の正義を標榜した。しかし、いずれの時代も「戦争の勝者」が正義を謳歌したことは史実に明らかである。

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