「北の核」で袋小路に追い込まれた「韓国」の日本接近
2016年10月20日
9月9日に北朝鮮は5回目の核実験を行った。小型化した核弾頭を搭載する弾道ミサイルの実戦配備はもう回避できないとの認識は日本でも米国でも広がった。
しかし最も強烈な反応を示したのは韓国である。9月下旬にソウルを訪問したとき、20年から30年に及んで私が交際してきた韓国の知識人たちは、いずれも危機に臨む韓国の明日を決して楽観してはいなかった。北朝鮮との取り組みの歴史がすべて失敗に終り、緊張が一挙に高まったことについては、「内政と外交の敗北」という総括が避けられないという点において、彼らの見解は一致していた。また北朝鮮に抑制を利かすための対中国外交も、まったく期待が裏切られたばかりでなく、地上配備型超高度迎撃ミサイルシステム(THAAD)の韓国配備決定後は、抜き差しならぬほどの対立激化になっていることも彼らにとって想定外の展開であった。そして彼らの不安は更に続く。トランプ現象がかけ抜ける米国との間合いもまた頭痛の種となったのだ。
そうしたなかで、韓国にとっての日本の見え方が変化したという。ソウルの日本大使館から通りを隔てた歩道に設置された慰安婦を象徴する少女像の周りを、夜分も青年たちが取り巻くという図式は変わっていないが、こうした撤去拒否の「監視」が続いたとしても、明日の日韓関係の見え方に多少とも変容が生ずることはありうるというのが私の見解である。以下ではこれらの論点の1つひとつに点検を加えたい。
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