紛争の現場から見る「憲法9条」「交戦権」

執筆者:伊勢崎賢治2016年11月4日

 2000年7月、東ティモール。筆者はここで、ある決断を下した。
 当時私は、国連東ティモール暫定行政機構(UNTAET)の上級民政官として、同国コバリマ県の県政を指揮する立場にあった。事実上の県知事である。
 前年、住民投票により東ティモールのインドネシアからの独立が事実上決定したが、インドネシア国軍と独立反対(併合維持)派民兵が破壊活動や虐殺を行ったため、国連が事態の収拾に乗り出した。インドネシアは東ティモールの主権を暫定的に国連に移譲し、国連はUNTAETによる本格的な国づくりと治安維持を並行して行う、いわゆる「総括型PKO」が、ここで行われていた。
 筆者が赴任したコバリマ県はインドネシアとの国境に近く、独立反対派民兵によるテロ活動は激しいものがあった。ニュージーランド軍の歩兵大隊約700名、パキスタン軍の施設大隊約700名が筆者の麾下にあり、PKF(国連平和維持軍)として活動していた。

「逮捕」から「殲滅」へ

 そんな中、ニュージーランド軍部隊と反対派民兵約15人が遭遇して銃撃戦となり、同軍兵士2名が死亡するという事件が発生した。
 それまで筆者は、反対派民兵の取り締まりは文民警察による「逮捕」が原則だと考えていた。そもそも軍には逮捕権限はない。だが銃撃戦となれば、これは明らかに「交戦」である。筆者は民兵組織を交戦主体と判断し、方針を「逮捕」から「殲滅」に切り替えるという決断をした。PKFは銃撃してきた約15人の民兵を殲滅した。「交戦」して「敵」を「殲滅」したのである。

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