「平和安全保障法制」への評価と批判(上)

執筆者:冨澤暉2016年11月5日

 現代における軍事の目的は敵国に勝つことではない。軍事力の目的は、その国の外交の背景として適切に機能し、その外交により世界の平和(秩序)・安全、ひいてはその国の平和(秩序)・独立(自由)を確保し、総合国力を進展させ、国民福祉を向上させることにこそある。

安倍外交が成功ならこの法制も成功

 それ故、平和安全保障法制への真の評価は、現在の日本外交が成功しているのか、すなわち、日本の平和(秩序)・独立(自由)はゆらぐことなく、国力は衰退せず、国民は福祉の恩恵にそれなりの満足感を得ているのか、をみなければ判定できない。
 こうしたものの判定には、ある程度の時間経過をみなければいけないが、何れにせよ判定者には軍事・経済・文化を総合的に評価できる能力が要求される。無論、筆者のような経済・文化に疎い者にそれは出来ないのだが、では誰が判定するのであろうか。
 心許ないことではあるが、筆者を含む国民一般大衆と、それをリードする政治家がその判定をするしかない。
 となれば、先の参議院議員選挙と都知事選の結果が、当面の日本の政治外交を、まずは成功と判定した、と認めざるを得ない。
 安倍晋三首相はともかく3年半以上在任したこともあり、多くの国を訪問し、その外交に特に指弾されるような失敗はなかった。オーストラリアや米国やインドでの外交については、やっかみで細かいことをいう人はいても、総じて好評であり、問題の対中・対韓外交も、平和安全保障法制制定前よりは良いものに回復させている。リオデジャネイロ・オリンピック閉会式での小池百合子都知事との共演アピールなども見事なものであった。
 その安倍外交を成功とし、少なくとも失敗でなかったとするならば、軍事の立場からして、今回の平和安全保障法制成立もまた成功というべきなのであろう。
 この軍事に関わる法制改正問題は歴代首相にとっても懸案事項であったのだが、これまで誰も実行できずにいたものである。小さな1歩とはいえ、ともかく前進させた安倍首相に、筆者は深甚の敬意を表したい。

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