遅い春を迎えてもネヴァ川を吹き渡る風の冷たいロシアの古都サンクトペテルブルク。フランス人やイタリア系スイス人の建築家を動員してデザインされた都市で、「北のベニス」と称されるだけあって、世界中からの観光客を魅了してやまない。フィンランド湾へ注ぎ込むネヴァ川の太い流れが古い帝都を横切り、そこから大小の運河が縦横に走る。レンブラント、ゴーギャン、セザンヌらの名画を展示するエルミタージュ美術館はつとに有名だが、プーシキンやドストエフスキーなどの文豪が活躍したのもこの町だった。 観光客の眼には芸術と文学の都でも、その実体は権力闘争と経済権益の坩堝だ。十八世紀初頭、ピョートル大帝の建都以来、歴史に翻弄されて町の名前はサンクトペテルブルク→ペトログラード→レニングラード→サンクトペテルブルクと三回も変わった。激しい権力闘争の舞台になった、まぎれもない証しである。そしていま、新たな権力のドラマが静かに進行している。 ロシア大統領にして間もなく首相に“横すべり”するプーチンが生まれ育ち、権力の階段をまっしぐらに上っていった町――サンクトペテルブルクは、いままさにプーチン王朝の“帝都”として新たに息を吹き返しているのだ。ピョートル大帝は強国スウェーデンからの襲撃に備えてペトロパブロフスク要塞をネヴァ川に建設したが、プーチン政権が推し進めたのは、敵からの襲撃に対して情報機関を要塞化することであった。ソ連崩壊で解体されたKGB(国家保安委員会)を、潤沢な予算と強大な闇の権限を与えることでFSB(連邦保安局)として蘇生させ、あからさまに政権を批判する“反体制派”を駆逐する、と報じられている。巨大石油企業の経営者や反体制ジャーナリストが、その標的となった。

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