世界秩序と日本の平和

執筆者:冨澤暉2017年2月18日
米国と国連は、世界秩序維持のための車の両輪なのだ (c)時事

 秩序と平和が同義であることは、各人の家庭のことを考えれば理解できる。その家庭が平和であればそこには必ず秩序があり、秩序ある家庭は平和なのである。秩序のない平和な家庭というものはあり得ない。

「日本さえ平和であれば、世界は平和でなくても良い」という考え方が、昔から左右を問わず日本人には多かった。そういう利己的な考え方を「1国平和主義」という。

 その1国平和主義は間違いだと知りつつも、では世界秩序(平和)のために日本が何を為すべきか、について発言する人はなお少ない。一方で、核廃絶と非武装を叫ぶだけの人は、自分が1国平和主義者であることすら知らない。その何れも世界を広く冷静に見る目を持っていないのである。

 遅きに失してはいるのだが、我々は歴史を学ばなければならない。先ずは、ここ100年の世界秩序(平和)の流れを、主要各国の力関係の変遷から眺めてみたい。

多極→1極→2極→1極の流れ

 言うまでもなく、1945年までの世界は多極時代であった。その時々により何がしかのランキングはあったが、各国とも努力次第ではそのトップに立つことも夢ではないと考え、互いに鎬(しのぎ)を削っていた時代である。無論、単独での戦争は難しいのでいわゆる合従連衡を繰り返してはいたが、現今の同盟とは意味が違い「昨日の敵は今日の友」でその逆もまた可、というものであった。第1次大戦後にできた国際連盟は現在の国連にくらべ遥かに無力であった。この期間の戦争に因る死者の数は1次・2次大戦だけで総計5~6000万人に上るという(当時の世界の人口は約25億人)。

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