カバーパネルが完全に取り外された東京電力福島第1原子力発電所1号機建屋(c)時事

 

 6年前の3月11日、東日本大震災の被災地でも何人もの新しい生命が誕生した。元気に育った当時の赤ちゃんたちは、今春からもう小学生だ。

 真新しいランドセルを背負い、桜の下ではじけるような笑顔を見せるであろう彼ら。だがあの日、親の腕に抱かれ、寒風の下がれきの中をさまよった子供たちのすべてが故郷の小学校に入れるわけではない。

 被災地全体ではなお、2500人余りが行方不明のまま。生き残った人たちも多くが、今も続く過酷な暮らしに耐えている。なかでも東京電力福島第1原子力発電所の放射能汚染が深い傷跡を残す福島県では、県内11市町村に出された避難指示で8万人以上の住民が住んでいた土地を離れ、8市町村約5万6000人が6年たった今も、故郷に帰れないでいる。彼らは何の罪も責任もないこの不条理な運命を引き受け、その2割以上がすでに帰宅をあきらめて避難先に定住しようとしているという。

 その一方、事故を引き起こした東京電力は、依然として「健在」である。企業としてはすでにその態をなしていないが、それでもいまだに経営陣の罪や企業責任が確定しているわけではない。業務上過失致死傷罪で強制起訴された勝俣恒久元会長ら旧経営陣3人の裁判は、争点を絞り込む公判前整理手続きの第1回期日がようやく今年3月29日と指定されたばかりだ。

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