アフリカ大陸の中西部、ギニア湾に面した位置にカメルーンという国がある。2002年のサッカーワールドカップ日韓大会の際、キャンプ地の大分県中津江村(現在は大分県日田市の一部)へのナショナル・チームの到着が大幅に遅れ、日本中をヤキモキさせたことで一躍その名を知られることになった国である。
 日本の1.26倍の国土に人口約2300万人。アフリカ全体の経済が高度成長を遂げていた2000年代においても成長率は2~3%と低迷していたが、2013年以降は5%台を記録している。1人当たりGDP(国内総生産)は1300ドルと貧しいが、カメルーンの人々の自慢は、武力紛争が多発してきたアフリカにおいて、1960年の独立以来、内戦もクーデターも一切経験していない政治・社会の「安定」である。

国連への抗議書簡

 筆者はかつて、全土が事実上無政府化していた中央アフリカ共和国での紛争取材を終えた後、カメルーンの最大都市ドゥアラに立ち寄ったことがある。ドゥアラの街は治安もよく、カンボジア人が経営する日本食レストランがあった。地獄のような中央アフリカから脱出してきたばかりの筆者は、マグロとイカとサーモンの鮨を食べ、これこそが平和と安定の証だと、浅はかにも思ったのであった。

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