先月号に引き続き、ヴェルディの話題をお届けしたい。社会の中で弱い立場にある者が運命に翻弄され、嘆き悲しむ心の様子を、世にも崇高なメロディーに歌い上げ、観客の心を打つヴェルディ。その彼が、自分の生涯で「もっとも美しい作品」と呼び、自ら細かい指示を出して作り上げた音楽家のための老人ホーム「憩いの家」を、夫とともに訪ねてみた。 ミラノ市内にあるこの老人ホームは、地元の人には「ヴェルディの家」という愛称で親しまれている。このホームの近くで育った四十代の友人は、毎年クリスマスに、やや調子っぱずれな音を出す、老人たちの吹奏楽団が、窓の下にやってきたのを覚えている。そのたびに母親は「さあ、このお金を差し上げていらっしゃい。昔は皆さん、立派な音楽家だった人たちよ。ヴェルディが作ったお家に住んでるの」と彼に封筒を渡したそうだ。 晩年、ミラノに土地を購入したヴェルディは、年をとって公演ができなくなり生活に困った歌手、器楽奏者、指揮者らが暮らせるような老人ホームの建設の構想を思い立った。この計画に惜しみない協力をしたのが、ヴェルディよりちょうど一世代若かった台本作家ボーイトである。ボーイトは、もうオペラを作曲する気がなかったヴェルディを、気長に説得し、八十歳を前にしたヴェルディに「オテロ」「ファルスタッフ」という名作を書かせた功労者でもある。そのボーイトの兄弟が当時名の知れた建築家で、「ヴェルディの家」を建設した。

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